雨上がり、虹を背に
小説版(原作)
雨上がり、虹を背に/縣 興夜
【雨上がり、虹を背に】
︎︎その日は、朝から雨模様だった。
︎︎白髪の少年と黒髪の少女が、急ぎ足で森の小道を駆け抜けていく。風に傘を引っ張られても、それを無理やりに押さえ込んで、走り続けていた。
︎︎森が開けた。小川にかかった木の橋が二人分の足音を鳴らした。
︎︎群雲ムツキと支倉トーマがこうも息を切らす理由は、花畑の中に佇んでいた。
「ルノ」
︎︎猫耳がぴくりと動いて、少年が声の方を振り返った。びしょ濡れの髪から雫が滴った。
「このバカ、風邪引くでしょ」
︎︎トーマが自分の傘を差し出した。焦るあまり、もう一本傘を持ってくるのを忘れていたのだった。
︎︎青月ルノは時折、花畑で空を見上げていることがある。それが雨の日だろうと風の日だろうとお構い無しで、何も持たずに、何も言わずにただ空を眺めている。
︎︎今日もそうだった。
︎︎ルノがリビングから消えたのに気付いて、トーマとムツキは追いかけるように飛び出したのだった。
︎︎ルノは差し出された傘を少し見つめてから、静かにそれを受け取った。ムツキは急いで自分の傘にトーマを入れてやった。
︎︎緑色の傘が開いた。濡れて濃い色へと変わったルノの服を見て、ムツキはため息をついた。あのままにしておくよりはマシだろう。
「ありがと」
︎︎呟いて、また空を見上げた。
︎︎雨粒がオレンジ色の花を揺らしている。
︎︎雨足は弱まってきていた。
︎︎ムツキには、ルノが何を考えているかは分からなかった。元々、表情を動かしたり、口を開くことを面倒だと言うような子どもだ。
︎︎それでも、傘を差してからその雰囲気が和らいだことだけは分かった。
「もうちょっと寄ってよォ、肩が濡れる」
「無茶言うなって」
︎︎二人で使うには手狭な傘の下でそんな言い合いをしていると、ふとムツキは閃いた。
「ったく、仕方ねぇな。じゃあ、こうしようぜ」
︎︎神はイタズラっぽく笑って、右手を空に翳した。
︎︎その途端、ピタリと雨が止んだ。見る見るうちに雲間が晴れていき、数秒の後には、夕焼け空に虹がかかった。
「……最初からそうすれば良かったのに」
︎︎トーマが呆れたように言ったその瞬間、強い風がムツキの傘を吹き飛ばした。
「ツイてないね」
「……そうだな」
ムツキは頭をかきながら、晴れさせて良かったと心底思った。
︎︎ルノはそれを見て、黙って傘を閉じた。そして、濡れた傘を大事そうに抱えた。
「次から傘くらい持って行きなよ」
︎︎トーマにタオルで髪をわしゃわしゃと拭かれながら、ルノは小さく頷いた。
︎︎その頬がほのかに紅く色付いているのに気がついて、ムツキはくすりと笑みを零した。
「まー、持たずに出てっても、オレらが迎えに来てやるから」
︎︎応えるように、二本のしっぽが揺れた。俯いて表情は見えなかったが、拒まれてはいないように思えた。
︎︎ルノが息を吸って、二人の方を振り返った。
「帰ろ」
︎︎虹を背に、微笑んだ。ように感じた。
︎︎なら、もう大丈夫だ。
「うん」
「帰ろう」
「さみ」
「ルノは帰ったら風呂直行だからね?」
「オレもついでに入るかぁ」
︎︎三つの声が木霊して、森の中に消えていった。